比較


相手を比較することはいいことだ。
自分の今いる立ち位置を理解できるし、
それで空気を読める。



だが、
それでなにかが変わるわけではない。
自分が一番輝けるように努力する。
それが人間の人生だ。
相手になにか言われることがあって、

相手に遠慮する必要はない。
なにせそれはあっているのだから相手は言うのだ。



だからこそ相手は絶対的に調子ののってもたいしてなんとも言えない。
まさに、
完全勝利だ。
勝負において、
常に勝つ気でいることは素晴らしいことだ。


そしてそれにさらに、
負けそうなときは逃げるということさえわかっていれば、
大抵の人生の問題は解決できることだろう。






つまり、
何事も向上心と行動力でなんとかなるのである。
本当に意味があることなのかは別として、
味覚というものには酸味を感じる機能があるのはわかるはずだ。



それと同じように、しょっぱいや甘酸っぱいっていう感情もあるのは人間ならばわかるはずだ。


人間っていうのは、
意外と味覚と同じように脳も味を感じているのかもしれない。
人生にある時間は限られている。



その人の生きられる時間には限界があり、どれだけ抵抗しても寿命が来たら時間切れだ。






いつまでもゆったりとはしていられないのだ。
集めたい。

これが欲しくてたまらない。





人にはそういう欲求と衝動がある。



人は何かを欲するし、
予想外なことに対して反応する時がある。
人は、
そういうものなのだ。
限界を超えてさらにその先の限界へ。
限界を超えればその先にはまたその限界がある。



限界というのは、
超えてこそ人生だ。





限界を超えろ。
何度でも何度でも。
誰かと砂漠にしても誰かを貶めるにしても、

絶対にそれが真実なのか確かめられる時が来るのだ。
その真実に対して私たちは抵抗はできず、
完全にウケてに回らなくてはならないものだ。


それくらいに真実というものには価値がある。
だからこそ、
真実は話すべきものではないのだ。
愛しているというと、
相手はどう思うだろう?

好きならば「私も」と言ってくれるかもしれないが、
嫌いならば絶対にそうは言わないだろう。


愛とは相手がいて初めて認められる行為だ。
たとえ何があっても、
人には別れがあるだろう。



一生二人でいられる時間はなく、いずれ限界を人は向かえる。


その限界までが人生だ。
誰かと共存して仕事をするし、誰かがいないとお金の意味もない。


そんな社会に、
人は夢を描く。
人は環境に左右される。


いい環境ならいい仕事も人生も送れるし、
逆に悪い環境ならば相当に鍛え抜かれて途中で折れる人も出てくるだろう。



環境は大事だ。
自分の選びたい方を選んで、挑戦するといいだろう。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。