適当人生


私は、
適当が好きだ。



適当に生きて適当にふらついて適当に人生を進むのが好きだ。



適当っていうのは楽しめなければいけない。
適当に何をしても楽しくなくては適当ではいられない。



・・・変わっているだろうか?
人はだれかと出会って誰かと一緒にいるときもある。



人というのは生きている以上、
ある程度の意味で他人と同じ生き方をしている。



空気を吸わないと生きていけないのも同じである。
人は別に特別すぎるというわけでもない。
だからこそ、
どこかしらで個性がつくのかもしれない。
植物を栽培するのはいいことだ。


環境的に緑が多いのは安らぐし、緑は本当に心を落ち着かせる。




自然にあるものというものが少なくなってきている現在、
そういうものを育てるということが、もしかしたら人を癒やす一番の方法かもしれない。
なんでもかんでも簡単に決めるな。


でも、
それでいいんじゃないの?

ミュージシャンになりたいとか、そう思ってもなれないでしょ?
じゃあ、
なれる人は才能があるのよ。




なれるかなれないかなんてどうでもいいのよ。
社会に出るっていうのは、
ルールや規則を守れれば、子供でも稼いでも誰も文句を言わないのよ。
己の力だけで、
他人に頼らずそれで食っていける技術を持つものを、
プロという。




人とはなにかしら真似出来てそれをすれば強くなれると思うのだけど、
それは大きな間違いなのだ。
頑固っていいじゃない。


自分があるというか、
真っ正直に物事に向き合っているっていうか。




そういう頑固もまた、
人柄なのだ。
人にとっては、
栄養やビタミン、たんぱく質という必要不可欠な成分が多くあるが。



様々な人にとって、
それだけ必要不可欠な成分というものがあるのではないだろうか?
例えば美容、
それは人にとってストレス発散であるし、そして、それがないといけな人もいるだろう。



例えば
美術、
その美学的要素はなくてはならない人もいる。
趣味嗜好、
そして楽しみ。
人にはそれぞれ、必要不可欠なものがあるのだ。
好きに生きている人間。


なにかに縛られている人間。

常にそういう人間を見ていると、縛られていような縛られてなかろうが、送っている人生に大差はないとわかる。



人間なんて、
みんな同じなのだ。
社会には、ルールというものがある。

そのルールを守れないと、
人間は生きていけない。





人間というものは共存なのだから、
そのルールは護りたいものだ。
本当に強いものと戦うとき。

気づいた時には負けているなんてことがままある。
これが本当に強いものと弱いものの力の差かと思うくらい確実な差である。



相手のスピードに追いつけないのも理由ではあるが、
最も大きな原因は、
ただ単純にその人間の実力が圧倒的なのである。
人生に特別なんてない。


すべてが必然で、
誰かの何かが原因となってその自体が起こっているはずだ。




なにかが違えば、
その環境にいる何かが特別強い影響があったのだろう。
どんなものにも勝てないくらいの輝きがあるのなら、
その才能を伸ばすべきだ。


誰にでもある才能も、
もしかしたら誰よりも強い能力かもしれないだろう?
世界各地を回る。

それは新しい出会いがあるかもしれないし、
新しい苦労があるかもしれない。


でもそれが自分の知見を広げるのにはすごく有効なことだ。
新しい世界で人は何を見るのか?