圧倒的


圧倒的戦力に圧倒的実力。


圧倒的というだけで解決しない物事がある通り、圧倒的に強い人間には太刀打ち出来る要素がない。
圧倒的とは、
本当に相手との差が埋まらないほどの力の差があるということだ。
勝負において、
常に勝つ気でいることは素晴らしいことだ。


そしてそれにさらに、
負けそうなときは逃げるということさえわかっていれば、
大抵の人生の問題は解決できることだろう。






つまり、
何事も向上心と行動力でなんとかなるのである。
私は、
適当が好きだ。



適当に生きて適当にふらついて適当に人生を進むのが好きだ。



適当っていうのは楽しめなければいけない。
適当に何をしても楽しくなくては適当ではいられない。



・・・変わっているだろうか?
生きるのならば、できるだけ可能性を突き詰めて生きていたいものだ。



常に可能性というものはどの行動にもあって、
常に生きている人間たちに存在し続けているものだ。


この可能性、
最終手まで読めれば、それはそれで最高である。
どんな困難にも立ち向かおう。



どれだけ困難であっても、
とりあえずやってみたらクリアできるかもしれないし、もしくはクリアできるどころか失敗しても、
成果は少しはあるはずだ。
物事を一個一個の駒だと思うと物事は簡単になる。

いわゆるタスク処理と同じだが、
駒はゲームにおいて切り札にも使えるものだから大切にするべきだ。


駒というのはなるべく持っておくべきだ。
この駒がなければ、
絶対に戦えない的とも戦えるのだから便利だ。
人間の世界には、
「ある程度の質で状態を良くする」というテコ入れというものが存在する。


テコ入れはどこの世界にもあり、
その少しの作業はちょっとずつだが物事を効率的に動かしている。





そういうのが、
この名言集なのだ。
負けるが勝ち。
逃げるが勝ち。

ずーっと逃げても戦い続けても、
さして結果は変わらない。
だから、
戦えないと思ったら逃げていいのだ。
集めたい。

これが欲しくてたまらない。





人にはそういう欲求と衝動がある。



人は何かを欲するし、
予想外なことに対して反応する時がある。
人は、
そういうものなのだ。
人を信じるならば。
とことんまで相手を信じ抜くべきだろう?

そのためには自分を信じてもらわなければならないし、自分を切り捨ててもいいとさえも言わなければいけないことなのかもしれない。
人は人に信じてもらおうと努力する。


それは人が自分のことを信用して欲しいのだから、永遠に変わらないことなのだろう。
感覚を研ぎ澄ませ。


一瞬一秒でも無駄にするな。



全身全霊の一撃ならば、
どんな相手も倒せるかもしれない。


決して諦めるな。
命というのは儚いものだ。

生きている間はいいが、いなくなったら寂しくなる。
それをブログに綴ることが、
命の証明になるのなら、いくらでも新しい文化にしていこうじゃないか。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。