正義


正義の味方なんて存在しない。




正義というのは振りかざすものではなく、行使出来るだけだ。


だからこそ、
正義は存在できる。
悪がない限りは正義はない。
だからこそ、
この世界は安定できる。
永遠につづく人生ではない。


どこかで終了、
どこかで限りがある。



その人生を、
送る方法を模索するのが、成長というものだ。
記事を書くときには常に法令に反していないか注意し無くてはならない。

方の裁きを受けるのはどうしても社会人としては抵抗があるのだから、
そうしないわけにはいかない。
だから法律というのは「ブロガー」だろうが、
「ビジネス」だろうが「学校」だろうが同じだ。


法令遵守、それが決まりだ、
驚くことに体力を使うのか?



人というのは、
どんな動作にも筋肉が反応するため、どうしても体力を動作によって消耗してしまいます。



まあそれくらいに、
人というのはどんなことにあっても疲れる生物だということでしょう。
どちらが強かろうが弱かろうが、
それで決着がつこうがつかなかろうが一緒に生きていかなければいけないのが現実だ。




誰よりも強くても別に特別扱いはなく、
弱いものにはある程度の救済処置もあるほど平和なのだ。


だからこそ、
差別するのは良くない。
何事も、
平等に存在しているのだから、強さを否定する必要もなく、弱さを克服しないでいいわけでもないのだ。
決めたことを守ることは大切だ。

その日何をしようとか、
その時どうするかとか、

決めておくのもいいだろう。
たとえそれが違う時だとしても、それは決めていることで他のことと考えればよいのだからより一層効率的になるではないか。
人なんてさして重要でもない。

この世界には人以外にもたくさんの生き物がいてそれらと人間は共存しているのだから特段変わったことでもない。


人というのは意外と自分勝手だから、
あまり必要のない人間関係なんて作る必要が無いのだ。
私が私である根源は何か。



私が私として生きているからか?
私が誰かに私として理解してもらっているからか?


いや、
違う。



私がまだ生きているからだ。
圧倒的に強くても、
圧倒的に勝てることはない。


圧倒的というのは、それくらいに不完全なものだ。




すぐにその力には対策が打たれるし、その力を使わせない方法を仕込まれるだろう。

それくらいに、
強くなっても休まることはないものだ。
仕事とは洗練されていくものだ。



その洗練されていく上で覚えるのが、
「自分しか叶えられない仕事方法」だ。



自分にしか叶えられないことを会得したら、一人前っていうのは私も常日頃から思っていることだ。
私は、
適当が好きだ。



適当に生きて適当にふらついて適当に人生を進むのが好きだ。



適当っていうのは楽しめなければいけない。
適当に何をしても楽しくなくては適当ではいられない。



・・・変わっているだろうか?