歴史


現代には過去がある。


過去があるからみんな生きている。


それがなければいないわけでもないだろうが、現代の社会の仕組みはその歴史のおかげて培われている。
時代とは、
人の現在の姿だ。
フルスロットル。




緊急時には絶対になければならないものだ。

別名火事場の馬鹿力。




限界を越えてみて初めて分かることがある。
火事場の馬鹿力も、
まだまだ全力じゃあない。
人にとって、
真実とは案外どうでもいいものだ。



それによって
知識的に得をしたり、
いい情報を得られたり、
そういうことがその人にとってのいいことなのだ。





人にとって、
真実とはどうでもいいことなのだ。
人と相対する時、
時には意見が全く合わなくて疎遠になることがある。




それは別に悪いことではない。


元々
合わない人間というものは存在するし、
ウマが合わない人とはいずれ疎遠にどちらにしてもなるものだ。
仲良くなれる人もいる。仲良くなれない人も、またいるのだ。
「一族の誇りを持て」
とか、
「家族の代表なんだから」
とか、


正直私の場合どうでもいいことなのだ。
私は長男だが、
その一家の代表として立派に生きたいとか、
そういう情熱はまったくない。




これからの家族をどうやって養うのか、
くらいにしか考えていない。
それくらいに、私は無難なのかもしれない。
だが、
このご時世、こういう家庭もいいではないか。
最大パワーで仕事をする。


いいじゃない。
その力強さでどんな困難も越えていくさまは、カッコいいじゃない。




最大パワーっていくらくらい人は出るのかな?
できれば、
誰よりも力強いエネルギッシュな人間になりたいものだ。
人間は必ず疲れる。


人付き合いにも疲れてしまうし、
話をするだけでも疲れてしまう。




だが、
それでも人はそれをする。
理由は、
それをすることが癒やされることでもあるからだ。
頑張ることに意味はあると思うか?


たとえそれができなくても、
立ち上がる力になることくらいはあるのではないだろうか?




ピンチの時に声援や応援があれば、
少しくらいは力が湧くのではないだろうか?



本当に相手と戦うとき、
覚悟ができるのは、その人達の声があるからだ。
料理は調和だ。

その料理にあった器、その料理にあった音楽がないと料理は完成しない。
人に対しても調和が大事である。
相手に合わせる重要性もそうだが、時には引っ張っていける強さも必要である。



それこそが、調和である。
本当に意味があることなのかは別として、
味覚というものには酸味を感じる機能があるのはわかるはずだ。



それと同じように、しょっぱいや甘酸っぱいっていう感情もあるのは人間ならばわかるはずだ。


人間っていうのは、
意外と味覚と同じように脳も味を感じているのかもしれない。
どんなに疲れても気合でなんとかなるっていうように、
昔の人は言うけれど、

私はそれはあっていると思う。



気合というよりも精神力がないと行動ができないのと同じで、疲れていると家からも出たくなくなるのと同じことだ。


それだけに、
気合、精神力というのは大切なモノだということなのだ。