文化


日本固有の文化とか、

海外の固有文化とか、

もの珍しいものにはかなり興味がある。







こういう文化に触れることも多いブロガーの世界だから当然なのかもしれないが、

こういう情報化社会というのも文化の一つではないだろうか。







ならば、

この文化を楽しみたいものだ。
マトモな考えというのは、
誰もが同じ領域で考える範囲なのだろうか?


真面目な話、
それ以上に意味があるならばそれ以上にマトモな案があるし、
人間というのはまともな意見というものが絶対的解決法だったらそれを受け入れることが出来るのだろうか。


それくらいに、
マトモすぎる意見はかなりの確率で恐いものなのだ。
人を助けるのに理由なんていらない。


助けたいから助けるのだ。
圧倒的に強くても、
圧倒的に勝てることはない。


圧倒的というのは、それくらいに不完全なものだ。




すぐにその力には対策が打たれるし、その力を使わせない方法を仕込まれるだろう。

それくらいに、
強くなっても休まることはないものだ。
相手になにか言われることがあって、

相手に遠慮する必要はない。
なにせそれはあっているのだから相手は言うのだ。



だからこそ相手は絶対的に調子ののってもたいしてなんとも言えない。
まさに、
完全勝利だ。
絶対的規律があっても、
其の規律を守り講師する側が問題ではいけない。




その生き方人生にも、
それを構成する物質あり。




そして、
其の人生にも、他の人生あり。
仕事とは洗練されていくものだ。



その洗練されていく上で覚えるのが、
「自分しか叶えられない仕事方法」だ。



自分にしか叶えられないことを会得したら、一人前っていうのは私も常日頃から思っていることだ。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
己の力の無さに気づいた時、
人は分不相応をわきまえなければならない。


圧倒的に強いのかなんて関係がない。


その力に見合った態度をし、
その力に見合った行動をしなければならない。





人の立場や行動範囲が変わるように、実力と立場に見合ったものも、変えていかなければならなのだ。
物事に正直である人間はいい。



正直に人に物を言い、
正直に人に話すことで信頼を得る。



そういう人間になりたいものだ。
人は必ず、嘘をつきたいこともあるだろう。
だが、
正直に物を言うその姿で、そういう時と場合のしかたないことを、晴れやかに飾ろうではないか。
絶対的に手の届かない世界がある。


宇宙にはその価値がある。
何もない世界だけど、
そこにはなにかがあるし、夢を求めてロケットを打ち上げる人もいる。





その夢がある世界に、魅了されてみないだろうか。
個人的にあなたとはいっしょにいたい。


例えば結婚したい相手と結婚したいと思う理由が、自分勝手じゃないといけないのと同じように、
そうしたいと思っていなければ成功はしないはずだろう。


その人個人は成功哲学があって行動しているとしても、
その人個人はまったく気づかないで相手のやっている意味に気づかないことが多い。


それくらいに、
人なんて理解できることがないのも、人間関係の醍醐味だ。
常に新しくあり続けよう。



そして、
常に最新であろう。
常に追い求めよう。





そうして前へ進んでいくのが、人間であり科学者である。