気持ち


思いやる気持ち。

それを持っていることで相手と理解し合えるとされている。
それは本当なのだろうか?

私的には真実だと思うし、
理解できないのに会話も何もないと思う。
相手を理解することで話したら言えない内容ややってはいけない行為がわかるのだから、
逆に言えば悪影響のあることもできないことも理解できるのだ。
常識と戦え。


常に新しい世界があり、そして変化していく世界だ。




そしてそしてまたまた繰り返すことだ。

同じく成長してもその成長の差は経験した物事の差になる。

それくらいに、
人間とは新しいことに忠実であることを世の中で要求されるのだ。
どんなときでもハキハキと。


声は自分の心も他人の心も揺れ動かす。
その強い気持ちが、
さらに体を動かすのだ。
人が楽するのは当然なのだ。


人は人生をサボりたいものだし、
どうしても怠惰に生きることが性分になってしまう。





でも人はそれでも
変わろうとする。
それがまた、いいのだ。
本当に強いものと戦うとき。

気づいた時には負けているなんてことがままある。
これが本当に強いものと弱いものの力の差かと思うくらい確実な差である。



相手のスピードに追いつけないのも理由ではあるが、
最も大きな原因は、
ただ単純にその人間の実力が圧倒的なのである。
生きるのならば、できるだけ可能性を突き詰めて生きていたいものだ。



常に可能性というものはどの行動にもあって、
常に生きている人間たちに存在し続けているものだ。


この可能性、
最終手まで読めれば、それはそれで最高である。
人を助けるのに理由なんていらない。


助けたいから助けるのだ。
パーフェクトなことなどない。



完全無欠な人間などいないのと同じで、絶対に無敵な人間はいない。


それは人だから当然だし、
生き物だからこそ当然あって当たり前の力だ。


人は不完全だから、
前を向いて歩くことが出来るのだ。
行動はなるべく迅速に対処したほうが良い。


それは仕事だけではなく、
プライベートも全てだ。



後回しで厄介なことになることだってあるからこそ、行動はすべてスピード勝負くらいでいいだろう。
「楽しむ」とは、
飽きが来ないことを言うのだ。


それが今来ていることとも言える。




飽きることなど人はかまわずそれらに没頭し、
おしゃれやゲーム、
漫画や映画と、
それが楽しいからしているのだ。



楽しくなければ人生じゃない。
飽きが来ないような趣味を、私も持ちたいものだ。
常に常に最強である。



勝つために遠慮せず、常に邁進すべきである。


可能性はそれ以上に計算し、
最大パワー以上の最大パワーを常に得ていくべきである。
何ごとも、
空気が読めなくてはならないものだ。



空気が読めない人は、
人にふいに失礼なことをしてしまうものだ。



空気を読めば、
人の心が読める。
人の心が読めれば、どういうときにコミュニケーションをすればいいかもわかるだろう。
読み物として、
本は一番人に身近なものだろう。



今の時代、
ブログや動画メディアと言ったものがあるが、
その情報伝達物の中でも、
誰もが書店に行ったらすぐに見れるという価値観は、なくなりはしないものだ。





ネットというものはいいものだ。
だが、
本というものの価値を、もう一度考え直してみてもいいのではないだろうか?