各地


世界各地を回る。

それは新しい出会いがあるかもしれないし、
新しい苦労があるかもしれない。


でもそれが自分の知見を広げるのにはすごく有効なことだ。
新しい世界で人は何を見るのか?
人生には終りがある。

どれだけ不死になっても、自己などで命を失う可能性は一生ある。
その終わりになるまで生きることは重要だ。
それだけ生きれば必ず誰かを救っているし、
適当にやったことがなぜかその人を救っているのかもしれない。



それくらいに生き続けることは、
重要で更に便利なことなのだ。
誰かの面倒を見る大切さは、
世の中を良くするのに似ている。



少しだけ誰かが力を貸せば人が助かることもあるし、
少しだけ誰かが仕事をすればみんなで大きな力になることもある。





人は必ず。
共存しているのだから当然のことなのだが。
何事も、
計算通りに行くことなど決してない。


あって
70%
なくて
0%
というのが現実だ。




絶対に思い通りになることなんてない。
絶対に、
自分の思った通りになることなんてないのだ。
常に時代は移り変わる。


新しい時代には新しい現象、機器、道具がある。





その新しい時代には新しい人間がおり、
その時代のリーダーになる。
そして、
それが現代でもあるのだ。
戦っても戦っても特をしないのが戦いだ。

これに得を求めてはならない。
やればやるだけ無駄な犠牲は増えるのだから、戦いとは自分の誇りを誇示するための争いなのだ。
どんな物語にも完結はあるものだ。



だからこそ、
人間の人生にも完結がある。




永遠につづく人生はないのだから、その完結するストーリーを、人は盛り上げなければいけないのだ。
言葉には命があるというが、
私の文章にも命がある。



どんなものにも吹き込めるのは達人だが、
私には文章にしか命を吹き込めないから達人ではないのかもしれない。




だが、
それでもいいのだ。
コレでも結構年だし、っていっても30だけど、
後輩もいるし結構知名度もある。


だからこそ、
年寄りでもそれだけは負ける気がしないのだ。
愛しているというと、
相手はどう思うだろう?

好きならば「私も」と言ってくれるかもしれないが、
嫌いならば絶対にそうは言わないだろう。


愛とは相手がいて初めて認められる行為だ。
健康は管理しているか?



体が満足行かなければなんの満足な行動もできない。


人は満足の行く高度ができてこそ楽しみを得られる。
それが、
本当の満足である。
どんなに疲れても気合でなんとかなるっていうように、
昔の人は言うけれど、

私はそれはあっていると思う。



気合というよりも精神力がないと行動ができないのと同じで、疲れていると家からも出たくなくなるのと同じことだ。


それだけに、
気合、精神力というのは大切なモノだということなのだ。
技術とか知識なんかよりも、



圧倒的パワーと破壊力の一撃のほうが圧倒的に有利だ。

そんな超攻撃に、
時間をかけなければ倒せないのならば、
絶対に不利でしかない。





しかも、
超パワータイプは絶対にその破壊力のためにその分を余裕で確保できる耐力を鍛えているものだ。
アニメや漫画のように、
簡単に勝てる相手ではない。
どちらが強かろうが弱かろうが、
それで決着がつこうがつかなかろうが一緒に生きていかなければいけないのが現実だ。




誰よりも強くても別に特別扱いはなく、
弱いものにはある程度の救済処置もあるほど平和なのだ。


だからこそ、
差別するのは良くない。
何事も、
平等に存在しているのだから、強さを否定する必要もなく、弱さを克服しないでいいわけでもないのだ。