ボク


一人称をボクということ。




もし、
それが俺であっても、さして世界は変わらないだろう。



そして、この世界が人が人をどう呼ぼうとも変わることはない。


問題は、
その人がその人をどう扱うかである。
言葉は交渉手段である。
そして、
相手をどうするかは、
決断することである。
永遠につづく人生ではない。


どこかで終了、
どこかで限りがある。



その人生を、
送る方法を模索するのが、成長というものだ。
個人的にあなたとはいっしょにいたい。


例えば結婚したい相手と結婚したいと思う理由が、自分勝手じゃないといけないのと同じように、
そうしたいと思っていなければ成功はしないはずだろう。


その人個人は成功哲学があって行動しているとしても、
その人個人はまったく気づかないで相手のやっている意味に気づかないことが多い。


それくらいに、
人なんて理解できることがないのも、人間関係の醍醐味だ。
人が物理的に不可能と思うものを、
証明するのは楽しそうだ。




何かしらの
意味や謎を解く探偵などは特に楽しそうな職業である。






人の世界には、
様々な謎がある。
それらは人を魅了し、そして人を楽しませる。
常に新しくあり続けよう。



そして、
常に最新であろう。
常に追い求めよう。





そうして前へ進んでいくのが、人間であり科学者である。
例えば映像作品などで、
企画を練っておくことは物事の進行において大変重要な意味を持つ。


それと同じように、
人間の人生にも企画性をもたせると面白いかもしれない。





人生がエンターテイメント性に溢れたら、楽しそうだろう?
人とともに人は生きる。


常にそれが繰り返されて共存する現代が未来永劫人間の世界では出来上がってくる。




人は共存しなければ生きていけない。
その共存性は、必要不可欠なものなのだ。
どんな物語にも完結はあるものだ。



だからこそ、
人間の人生にも完結がある。




永遠につづく人生はないのだから、その完結するストーリーを、人は盛り上げなければいけないのだ。
誰よりも先に。


親よりも家族よりも他人よりも先に。



人生の先輩よりも
人生よ後輩よりも先に。



ずっとずっと更に先に。
永遠に誰よりも強くなるのならば、一瞬たりとも立ち止まってはならないのだ。
「幸福」とか、
「幸せになり福をもたらす」と書く。



その意味とは、
円満な家庭なのかもしれないし、
宝くじのような大きいものにあたって一躍億万長者になることなのかもしれない。



どちらにせよ。
私の幸せは、
家族とともに生きることだ。
知識を蓄えるのに意味はあるのか?

これはコミュニケーション能力を鍛えるという意味ではとてつもなく重要だ。
頭のいい大学生が知識や頭がいいから早口なのはこれが理由だ。


普通の人間のスピードよりも圧倒的なほどの会話力なのである。
よく、
「頭のいいやつは話ができない」
といわれるが、
実際のところ、
ただ単に知識の量が多く自分が強いと思ってしまっているので、コミュニケーションを鍛える必要が無いからそうなるのだ。
むしろ、そう非難するほうがコミュニケーション能力が人並みだけなのかもしれないだろう?
その世代には新しい世代がまた生まれる。



そして、
その産まれた世代にも、
また新しい世代が生まれる。




次々と切り替わっていく世代には、次の新しい世界が待っている。
最大パワーで仕事をする。


いいじゃない。
その力強さでどんな困難も越えていくさまは、カッコいいじゃない。




最大パワーっていくらくらい人は出るのかな?
できれば、
誰よりも力強いエネルギッシュな人間になりたいものだ。