究極


どんなものにも勝てないくらいの輝きがあるのなら、
その才能を伸ばすべきだ。


誰にでもある才能も、
もしかしたら誰よりも強い能力かもしれないだろう?
そもそもだ。



私が格言を書くのにはまったく理由がない。



なぜかというと、
できるからやっているのだ。
できないわけではないことをやるのが人間当然であって、
できないことをできないでいるということもまた人間らしいといえば人間らしい。



当然、
普通にできることが仕事なのだから、
仕方ないのだ。
男の夢というのは、


ロボットや機械とか、夢のあることをやることが多い。
それは別に悪いことではないが、
女にはわからないから美学なのだ。
必要以外の者は最低限度にしたい。


最低限度のほうが動くと気楽だし、
さしてストレスなく過ごせるからだ。


世ではミニマリストと言われる人が増えている。
私はどっちかというと、
人生をミニマムにしていっている人だ。
昨日一昨日。



そうやってそういうものが積み重なって、その人生は作られる。


人は生まれながらにして過去を持ち始める。
そして生まれるまでにさえも、
親の過去があって産まれる。




人は自由ではないにしろ、
自由になるだけの人生が積み重なって形成されているのだ。
そもそもテコ入れをする必要があるのだろうか?


なんににでも不完全はあるものだし、絶対に完成されたものはない。
まあ、
だからこそ、テコ入れの必要がある場合もあるのだろうが。
最高一択の人生か。





全てが良いもので溢れた人生か。









人は必ず追い求め、

その答えにたどり着く。

どの答えがその先にあるのか、人生の中で探してみると面白いものだ。
自分に従事るものを眷属という。



その眷属とは支配ではなく、真っ当な従属関係である。


つまり、
その人間を信じて付き合うことである。





眷属というものは絶対的ではない。
だからこそ、
主従のよう主が強制的というわけではないのだ。
どんな行動も、感覚が重要だ。



どんな几帳面でも同じことは同じことに起こらず、
常に新しいことが現在では起こっている。






いつも同じなんてことはない。
新しい行動が、新しい世界を生むのだ。
驚くことに体力を使うのか?



人というのは、
どんな動作にも筋肉が反応するため、どうしても体力を動作によって消耗してしまいます。



まあそれくらいに、
人というのはどんなことにあっても疲れる生物だということでしょう。
「楽しむ」とは、
飽きが来ないことを言うのだ。


それが今来ていることとも言える。




飽きることなど人はかまわずそれらに没頭し、
おしゃれやゲーム、
漫画や映画と、
それが楽しいからしているのだ。



楽しくなければ人生じゃない。
飽きが来ないような趣味を、私も持ちたいものだ。
どれだけ強くてもいい。

どれだけ強くても、負けないのならそれでいい。
逆に勝つための武器はいらないのだ。
誰よりも先に。


親よりも家族よりも他人よりも先に。



人生の先輩よりも
人生よ後輩よりも先に。



ずっとずっと更に先に。
永遠に誰よりも強くなるのならば、一瞬たりとも立ち止まってはならないのだ。