ボク


一人称をボクということ。




もし、
それが俺であっても、さして世界は変わらないだろう。



そして、この世界が人が人をどう呼ぼうとも変わることはない。


問題は、
その人がその人をどう扱うかである。
言葉は交渉手段である。
そして、
相手をどうするかは、
決断することである。
誰かと砂漠にしても誰かを貶めるにしても、

絶対にそれが真実なのか確かめられる時が来るのだ。
その真実に対して私たちは抵抗はできず、
完全にウケてに回らなくてはならないものだ。


それくらいに真実というものには価値がある。
だからこそ、
真実は話すべきものではないのだ。
なんであってもがむしゃらに食らいつけ。

戦っても戦っても負けても食らいつけ。
それだけハングリーならば世の中誰でも認めざるをえない。



それくらいに負けても食らいついて媚びへつらってでもしがみつけ。
性別っていうのは、
なにかしら意味があってつくものじゃあない。



性別とは、
その人が生まれるときにあるカテゴリー概念であり、
その性別は別に人生に影響するわけでもないしそれが理由で挫折することはない。





性別っていうのは、
それがあるから困るわけではないのだ。
人とともに人は生きる。


常にそれが繰り返されて共存する現代が未来永劫人間の世界では出来上がってくる。




人は共存しなければ生きていけない。
その共存性は、必要不可欠なものなのだ。
仕事も行動も、
感覚勝負だろう。



そこにピーンって感じがすると、とてつもなく気持ちがよく行動ができるもんだ。

そして、
成功するもんだ。





人なんてもんは、
そうやって生きていってもいいではないか。
世界は広い。


その世界の中で出会える人間に数には限界があり、
そしてそれら一人ひとりとの出会いが人生において転機になっている。






その世界で暮らしているのだから、
人間はまだまだ小さい可能性しか終えていないのかもしれない。
世の中、
理解できないことはいくらでもある。




勝てないほど強い人に、
意味のないのに稼ぎになっている職業、勝てないはずのギャンブルだって、
何故か勝っている人がいる。





世の中ってのはそういうもんだ。
わからないことにさえわかって勝っている人がいるものだ。
上には上がいる。


その上にも上がいる。

そうやって上に上がっても上がいるから、人生とは面白いのだ。
ストーリーや作品には、
常に「最新作」が求められる。

それはこの「ブロガー」の業界も同じで、常に最新の記事があることが読者様への作品提供になる。
映画やコミックの世界のように、
常に新しいブログであろう。
どちらが強かろうが弱かろうが、
それで決着がつこうがつかなかろうが一緒に生きていかなければいけないのが現実だ。




誰よりも強くても別に特別扱いはなく、
弱いものにはある程度の救済処置もあるほど平和なのだ。


だからこそ、
差別するのは良くない。
何事も、
平等に存在しているのだから、強さを否定する必要もなく、弱さを克服しないでいいわけでもないのだ。
謎謎謎。




謎だらけ。

まったく意味がわからないことがあったりするのが世の中だ。





人の世界には、
そんな謎がいっぱいある。
そんな謎を数多く人生で見ていきたいものだ。
遊んでいる人は自由でしょ?

それはそうよ。
仕事では頑張らないといけないもの。




遊んで暮らせるといいけども、
ハメ外している時点で幸せがまだつかめないって思うもの。
常に遊んでいられるのならば、何がしたいですか?
遊ぶことが仕事だったら、楽しいですか?

答えは、
「遊ぶことが仕事になったらストレスがないなんてことはないし、
逆に、仕事が楽しみだったらいつでも毎日幸せでしかないはず。」
ってことです。