価値


物の価値は人それぞれで違う。

骨董品でも興味が無い人からしたら普通に食卓で出す皿として扱うほどになるだろう。
人とは自分が主体だ。



だからこそ、
絶対的に儲ける方法はないし、絶対的に万人に受ける手段はないのだ。
本当に意味があることなのかは別として、
味覚というものには酸味を感じる機能があるのはわかるはずだ。



それと同じように、しょっぱいや甘酸っぱいっていう感情もあるのは人間ならばわかるはずだ。


人間っていうのは、
意外と味覚と同じように脳も味を感じているのかもしれない。
何かに挑みたいと思うのなら、
事前に準備してからの方が良い。



別にそうしたからと言って得旦那に関わるわけでもないが、心構えに対する安定性は抜群に上がる。




人は精神論でも強くなれるのだ。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
優しい人間は好かれる。


一番にそれでなれなくても、印象はずっと他人よりもいいだろう。



それで一番になれるならもっといい。


人には、
優しさというものがある。
まあ、ないひともいるっちゃいるかもしれないが、優しさは人に対しても優しくていいものだ。
フルスロットル。




緊急時には絶対になければならないものだ。

別名火事場の馬鹿力。




限界を越えてみて初めて分かることがある。
火事場の馬鹿力も、
まだまだ全力じゃあない。
大きな枠組で言えば、
人間は自然の中に存在する一種族である。

だから動物たちは自分たちと同じ弱肉強食だと思い戦いに降りてくる。

一方人間は私達のテリトリーには入るなと、
動物たちを遠ざけようとする。
人間はそんなに偉いものなのだろうか。
なんにせよ、
達人とか名人的なものは多いが、
私の場合、
「文章の達人」といったほうがいいのかもしれない。




いや、
「文章で生きる達人」
といったほうがいいのか。



文章で飯を食っているし、
文章で商売をしている。


まるで小説家やエッセイストみたいなものだが、
私の場合は、
「ブロガー」だ。
行動や方法は、
時間が経つ度常に移り変わる。


其のときに行動しようと思っても、次の瞬間には意味がなくなる。




何事も、
思いつきは大事なのだ。
必要以外の者は最低限度にしたい。


最低限度のほうが動くと気楽だし、
さしてストレスなく過ごせるからだ。


世ではミニマリストと言われる人が増えている。
私はどっちかというと、
人生をミニマムにしていっている人だ。
宇宙にも限界がある。



宇宙とは常に拡大し続けているが、
実質問題、
拡大しているだけでどこかしら許容限界があるのだ。



だからこそ、
人間もそういう可能性を広げ続ける宇宙のような気持ちで生きてみたら、楽しいのではないだろうか?