助ける


人を助けるのに理由なんていらない。


助けたいから助けるのだ。
相手を比較することはいいことだ。
自分の今いる立ち位置を理解できるし、
それで空気を読める。



だが、
それでなにかが変わるわけではない。
自分が一番輝けるように努力する。
それが人間の人生だ。
日本には、
「ヲタク(オタク)」と呼ばれる文化的なものがある。


オタクとは、
日本固有の「アニメ」やら「ラノベ」やらを愛してやまない外国で言えば「GEEK」たちの総称で、
日本ではそれを通じていろいろなつながりが海外ともできている。



素晴らしいことじゃないか。
それでいいのだ。
日本の文化を広めてくれれば、必ず日本の資産になる。
海外からはその文化がいいとされて、
海外にもそういう文化を持ちたいという若者も増える。
本当に素晴らしいことだ。
永遠の愛などない。


どれだけ愛していても、かならず一度は限界が来る。

人の愛情とは、
一回終わっても復活するから継続できていくのである。



人は人がいることがストレスになる生物だ。
どれだけ一緒にいても、
ストレスになるのだから、愛は終わっても繋いでいくものだ。
使えるものは何でも使う。
だが、
使えないのならば迷わず捨てる。

それくらいに人というのはシンプルになれる。

シンプルになれないのならば、
それはまだ二流なのだ。
社会っていうのは、
案外子供に厳しい気もするけど、さして厳しいからって大人になっても全然厳しいけどね?


だって、
働いても働いても勝てない人もいるし、
ずーっと頑張ったってお給料上がらないようなこともいくらでもあるのよ。





社会人になるっていうのは、
子供のときに否定されるようなことを、平気でやれなきゃ生きられないの。
親に守られ続けている大人とか、
そういうものじゃ決して手に入らない自由もあるの。
本当に強いものと戦うとき。

気づいた時には負けているなんてことがままある。
これが本当に強いものと弱いものの力の差かと思うくらい確実な差である。



相手のスピードに追いつけないのも理由ではあるが、
最も大きな原因は、
ただ単純にその人間の実力が圧倒的なのである。
なんでもできるならば魔法でもあったら便利だと思わないか?

だが、
魔法なんてものは世の中を便利にするだけで、
たいしてこの現代で使えてもさして意味が無いように思えないか?


空を飛べたとして、
ジェット機に巻き込まれるような気がする。



それくらいに、
この現世は完璧なのだ。
どんなときでもハキハキと。


声は自分の心も他人の心も揺れ動かす。
その強い気持ちが、
さらに体を動かすのだ。
どんな行動も、感覚が重要だ。



どんな几帳面でも同じことは同じことに起こらず、
常に新しいことが現在では起こっている。






いつも同じなんてことはない。
新しい行動が、新しい世界を生むのだ。
人は人の誠実さに惹かれる。


私は偶然適当な人間に育ってしまったが、
その誠実な姿は、
憧れるものだ。






誰よりも誠実であれば人生も華やかになるのか?
それは違うのかもしれないが、
それで楽しい人生にもなれるのも間違いないだろう。
物事を一個一個の駒だと思うと物事は簡単になる。

いわゆるタスク処理と同じだが、
駒はゲームにおいて切り札にも使えるものだから大切にするべきだ。


駒というのはなるべく持っておくべきだ。
この駒がなければ、
絶対に戦えない的とも戦えるのだから便利だ。
人を信じるならば。
とことんまで相手を信じ抜くべきだろう?

そのためには自分を信じてもらわなければならないし、自分を切り捨ててもいいとさえも言わなければいけないことなのかもしれない。
人は人に信じてもらおうと努力する。


それは人が自分のことを信用して欲しいのだから、永遠に変わらないことなのだろう。