ぶりっ子


なんでもそうだが、
そのキャラをすることは大変ストレスが溜まることだ。

いわゆるぶりっ子とかも、
意外と相当なほどモテたいっていうのがわかる。
いわゆる心理学的にはかなり分かるものではあるが、バレないと意外と行けるのを見ているのも面白いものだ。
適当に生きる人間には理由がある。

そもそも適当に生きられないから人生難しいのだから、適当に生きるために努力をしていないのであればその人は生きてさえいないだろう。



それくらいに怠けるとか適当とか言えないものだ。
人はそれくらいに真面目なのだ。
なんであってもがむしゃらに食らいつけ。

戦っても戦っても負けても食らいつけ。
それだけハングリーならば世の中誰でも認めざるをえない。



それくらいに負けても食らいついて媚びへつらってでもしがみつけ。
絶対的に手の届かない世界がある。


宇宙にはその価値がある。
何もない世界だけど、
そこにはなにかがあるし、夢を求めてロケットを打ち上げる人もいる。





その夢がある世界に、魅了されてみないだろうか。
マトモな考えというのは、
誰もが同じ領域で考える範囲なのだろうか?


真面目な話、
それ以上に意味があるならばそれ以上にマトモな案があるし、
人間というのはまともな意見というものが絶対的解決法だったらそれを受け入れることが出来るのだろうか。


それくらいに、
マトモすぎる意見はかなりの確率で恐いものなのだ。
人は成長する。

どのくらいという限界よりも、
どこまでも成長しようとする。




その努力が推進力となって若さとなるが、
人は停滞することも一つの成長だということを知らないものなのだ。
ケンカは止める必要がない。

仲裁すればいいのだ。
悪いことに対して何を言うのかは自由だし、ダメなことをダメで終わらせるよりも、
相手とぶつかって解決してみたらいいのだ。




その中で、
何かが生まれればそれでいいじゃないか。
いつまでも永遠に同じことをしていられるだろうか?



人間とは、
欲望よりも圧倒的なほどに、成長意欲というものが存在する。

いつまでも同じことをしていられず、
耐え続けることも本当に人格ができていないと石の上にも三年などいられないものだ。





頑張るということさえも、
人には無意味なのだ。
人というのは絶対に頑張っても新しい仕事のほうがやる気が出る。
新しい仕事をして新しいことをして、
それだから力が湧くのに、
成長するためには、その石の上にも三年いられるほどの同じことの繰り返しで成長するのだから、
動かさせるのと成長させるのは違うのだ。
己の力の無さに気づいた時、
人は分不相応をわきまえなければならない。


圧倒的に強いのかなんて関係がない。


その力に見合った態度をし、
その力に見合った行動をしなければならない。





人の立場や行動範囲が変わるように、実力と立場に見合ったものも、変えていかなければならなのだ。
時間や場所。




それぞれの特異体質で代る環境は、絶対に二度と戻ってくることはない。



人の世界は一度そこで起こったが最後、
二度と同じ環境はない。


それが、
この世界の絶対領域だ。
物事に何でもかんでもカテゴライズする必要なんてないのだ。




その物事を常に意識して常に向上していくことが重要なのだ。
例えばそのカテゴリーが組み合わさってできたりするものもあるし、ある種そのカテゴリーのおかげで出来るものもある。




例えば人も、
そういう意味では自由なのだ。