命とは


命というのは儚いものだ。

生きている間はいいが、いなくなったら寂しくなる。
それをブログに綴ることが、
命の証明になるのなら、いくらでも新しい文化にしていこうじゃないか。
この世界に絶対的な強さはあるのか?



恐らくあるのかもしれないが、
さして強いわけでもないだろう。




どうにかすれば勝てるとかそういう意味ではなくて、どうにかすればなんとか共存は出来るのだろう。
もし本当に誰かを守れないと思った時は、全力で暴走してもいいと思え。



その力が体の全リミッターを開放し、
相手の力をなぎ倒せるかもしれない。


まあ、そこまで鬼気迫った状況などないだろうが、絶対に守りたいのならば許せないことを許すべきではないだろう。
私にとってブログは資産だ。


その資産が失われるのは非常に不愉快だし、
それで生きているのだからそうなるもの仕方ない。



でもだ。
実際ブログは子孫に託せるし相続も出来るじゃあないか。
そう思うと、
その意味であれば、幸せなことである。
運も強さの一つだ。



誰よりも運が良ければそれはその人の個性の一つだ。


仕事なんて言うのは、
運でもある。
実力と計算、そして運だ。
生きることに誠実であれば、
必ず未来はある。



卑怯なことに未来はない。
だが、
それだからこそ世界は安定しているのだ。
性格がいいことは得だ。



別に
それで人生がどうにかなるわけではないだろうが、
それで得することはあるだろう。





人間、
どうしても怠惰になって生きることをサボってしまいがちだが、
それでも得することってのは人生において得なのだ。
物事を一個一個の駒だと思うと物事は簡単になる。

いわゆるタスク処理と同じだが、
駒はゲームにおいて切り札にも使えるものだから大切にするべきだ。


駒というのはなるべく持っておくべきだ。
この駒がなければ、
絶対に戦えない的とも戦えるのだから便利だ。
マトモな考えというのは、
誰もが同じ領域で考える範囲なのだろうか?


真面目な話、
それ以上に意味があるならばそれ以上にマトモな案があるし、
人間というのはまともな意見というものが絶対的解決法だったらそれを受け入れることが出来るのだろうか。


それくらいに、
マトモすぎる意見はかなりの確率で恐いものなのだ。
ゴミを分別するように、
仕事とプライベートも分別しておくように使用。



シゴトもプライベートもどちらも大事だが、
分けておくことで唯一の時間の制御ができるとしたら、何倍も差がつく行為になるだろう。
人間には遺伝子にさえ決められた限界がある。

別にそれ以上いけないわけではないが、
通常の人間の生き方では限界が有るようだ。


今では無限に生きる理論も確立されているらしい。
それくらいに、
人間は限界を超えるかどうかに興味が有るのだ。
人生に勝つことは必須だ。



どんなに負け犬人生でも、何かしらに勝っていなければ絶対に大人になっていないはずだ。



この世界は、
勝たなければ前へ進めないのだ。
どんなピンチのときも、
諦めるべきではない。




戦いいや仕事には、
絶対にピンチでも助かる方法はある。





その戦いに、絶対に目を背けるべきではない。