精神論


どんなに疲れても気合でなんとかなるっていうように、
昔の人は言うけれど、

私はそれはあっていると思う。



気合というよりも精神力がないと行動ができないのと同じで、疲れていると家からも出たくなくなるのと同じことだ。


それだけに、
気合、精神力というのは大切なモノだということなのだ。
愛しているというと、
相手はどう思うだろう?

好きならば「私も」と言ってくれるかもしれないが、
嫌いならば絶対にそうは言わないだろう。


愛とは相手がいて初めて認められる行為だ。
人生に特別なんてない。


すべてが必然で、
誰かの何かが原因となってその自体が起こっているはずだ。




なにかが違えば、
その環境にいる何かが特別強い影響があったのだろう。
努力は続けることに意味がある。

その努力がなくなるとすぐに人は弱くなる。
続けていくことは困難だけど、
ずーっと続けていくことには成長という未来が待っている。
料理は調和だ。

その料理にあった器、その料理にあった音楽がないと料理は完成しない。
人に対しても調和が大事である。
相手に合わせる重要性もそうだが、時には引っ張っていける強さも必要である。



それこそが、調和である。
人はだれかと出会って誰かと一緒にいるときもある。



人というのは生きている以上、
ある程度の意味で他人と同じ生き方をしている。



空気を吸わないと生きていけないのも同じである。
人は別に特別すぎるというわけでもない。
だからこそ、
どこかしらで個性がつくのかもしれない。
自分に従事るものを眷属という。



その眷属とは支配ではなく、真っ当な従属関係である。


つまり、
その人間を信じて付き合うことである。





眷属というものは絶対的ではない。
だからこそ、
主従のよう主が強制的というわけではないのだ。
努力には価値がある。

それはつまり、
努力することで得るものはかならずあるということだ。
それにより得をすることで、
新しいことが出来るようになればなお嬉しい。


そのことだけが人を笑顔にさせるのだから、
人は成長することが素晴らしいことだと思うのだ。
常に時代は移り変わる。


新しい時代には新しい現象、機器、道具がある。





その新しい時代には新しい人間がおり、
その時代のリーダーになる。
そして、
それが現代でもあるのだ。
現代には過去がある。


過去があるからみんな生きている。


それがなければいないわけでもないだろうが、現代の社会の仕組みはその歴史のおかげて培われている。
時代とは、
人の現在の姿だ。
どんな新しいパソコンを買っても、
初期設定は絶対にするものだ。



そんな機械の動作が、
人間にもあってもいいのではないだろうか?





人間にも最初からなんでも設定すればできるようになる機能が欲しいものだ。
というより、あったほうが便利だと思うんだけれど笑
「幸福」とか、
「幸せになり福をもたらす」と書く。



その意味とは、
円満な家庭なのかもしれないし、
宝くじのような大きいものにあたって一躍億万長者になることなのかもしれない。



どちらにせよ。
私の幸せは、
家族とともに生きることだ。
健康は管理しているか?



体が満足行かなければなんの満足な行動もできない。


人は満足の行く高度ができてこそ楽しみを得られる。
それが、
本当の満足である。