性善説と性悪説


正義と悪は共存している。

その相性は非常によく、
それが性善説と性悪説の差でよくわかる。


どうやったって、
相性が良いから考え方が違う関係性は一緒にいるだけで違う会話ができるから議論を永遠に続けられる。
人というのは、
数限りなく仲違いして共存している。
料理は調和だ。

その料理にあった器、その料理にあった音楽がないと料理は完成しない。
人に対しても調和が大事である。
相手に合わせる重要性もそうだが、時には引っ張っていける強さも必要である。



それこそが、調和である。
何かに挑みたいと思うのなら、
事前に準備してからの方が良い。



別にそうしたからと言って得旦那に関わるわけでもないが、心構えに対する安定性は抜群に上がる。




人は精神論でも強くなれるのだ。
その事柄に対して戦うことは大切なことだ。


大切なことは逃げることができないという意味でもある。
戦い続けることに意味がないのと同じように、
戦い続けることには絶対的な効果があるのだ。
仕事を覚えられないのであれば、
スマホでもいいからメモをとることを覚えよう。



仕事内容を仕事終わりに復習しておくと、
その日に覚えられなかったことも意外とあるものだ。



仕事や買い物で覚えていられないと思う場合は、
メモを取って対策をすればいいのだ。
常に新しくあり続けよう。



そして、
常に最新であろう。
常に追い求めよう。





そうして前へ進んでいくのが、人間であり科学者である。
優しい人間は好かれる。


一番にそれでなれなくても、印象はずっと他人よりもいいだろう。



それで一番になれるならもっといい。


人には、
優しさというものがある。
まあ、ないひともいるっちゃいるかもしれないが、優しさは人に対しても優しくていいものだ。
集めたい。

これが欲しくてたまらない。





人にはそういう欲求と衝動がある。



人は何かを欲するし、
予想外なことに対して反応する時がある。
人は、
そういうものなのだ。
負けるが勝ち。
逃げるが勝ち。

ずーっと逃げても戦い続けても、
さして結果は変わらない。
だから、
戦えないと思ったら逃げていいのだ。
言葉には命があるというが、
私の文章にも命がある。



どんなものにも吹き込めるのは達人だが、
私には文章にしか命を吹き込めないから達人ではないのかもしれない。




だが、
それでもいいのだ。
コレでも結構年だし、っていっても30だけど、
後輩もいるし結構知名度もある。


だからこそ、
年寄りでもそれだけは負ける気がしないのだ。
己の力だけで、
他人に頼らずそれで食っていける技術を持つものを、
プロという。




人とはなにかしら真似出来てそれをすれば強くなれると思うのだけど、
それは大きな間違いなのだ。
愛しているというと、
相手はどう思うだろう?

好きならば「私も」と言ってくれるかもしれないが、
嫌いならば絶対にそうは言わないだろう。


愛とは相手がいて初めて認められる行為だ。
他人に対してゴマをする。

これを、
卑怯なことと言うが、
騙される方も悪いのだ。



相手がそうやって擦り寄ってきても、
相手しなければいいことだし、
世の中そんなに甘くはないのだから、当人同士の問題で済めば誰も被害に合わないで済むはずだ。

だから、
そうやって楽しくいられればみんなが幸せだ。
それが他人を巻き込むのであれば、
絶対にただじゃすまないんじゃないだろうか。


人は常に、誰かと楽しく生きたいものなのだから。