遊び


時には思いっきし遊ぶ。




遊びは楽しいものだ。
誰かと遊んだり、
誰かと旅行に行ったり一人で旅行へ行ったり。





遊びとは、
楽しむものだ。
その癒やしがないと、人間生きてはいけないのだ。
正義と悪は共存している。

その相性は非常によく、
それが性善説と性悪説の差でよくわかる。


どうやったって、
相性が良いから考え方が違う関係性は一緒にいるだけで違う会話ができるから議論を永遠に続けられる。
人というのは、
数限りなく仲違いして共存している。
ゴミを分別するように、
仕事とプライベートも分別しておくように使用。



シゴトもプライベートもどちらも大事だが、
分けておくことで唯一の時間の制御ができるとしたら、何倍も差がつく行為になるだろう。
どんな行動も仕事も、気合だろ。



どれだけ強くても精神が弱ければ戦えず、そして力がなければ精神も強くないのだ。

心とは人間の中で一番弱く弱点にもなりやすい部分だ。
本来の力を使うには、
どうしても精神力がいるのだ。
人生に、
意味があることってどんなことだと思う?



就職すること?
結婚すること?
それとも
生きていることそのものだったりする?




うーん。
私的に思うけど、別に意味があるものって人それぞれ違うものなのよ。
例えば働きたくない人は働かないことはできないでしょ?
例えば、
ずーっと子供でいたいって言っても子供のままで生きられる人っていないでしょ?
こういう問題なのよ。
わがままをわがままでいていいはずもないって言われるの。
だから、
人それぞれで自分で意味を決めておかないと、
どうやっても解決しない物事って、あるような気がするの。
常に時代は移り変わる。


新しい時代には新しい現象、機器、道具がある。





その新しい時代には新しい人間がおり、
その時代のリーダーになる。
そして、
それが現代でもあるのだ。
少しだけ力を加えられることを、
「微弱」という。



だが、
そのちょっとの力をちょっとだけ推進力に毎日変えられれば大きな力となる。




小さなことも、積み重ねで大きくなれるものなのだ。
ものごとには、常識というものがある。


倫理性というやつだ。
その倫理に欠けると常識に欠け、その倫理を考察することで人の世の中は向上していく。





倫理性とは、
世の中にとっては必要不可欠なものなのだ。
物事をする際、
それが出来ると思うことが大事だ。




可能であれば確実に成功するし、そのイメージが勝負を決める。


出来ると思うのならば、
絶対に成功することをイメージするべきだ。
言葉には命があるというが、
私の文章にも命がある。



どんなものにも吹き込めるのは達人だが、
私には文章にしか命を吹き込めないから達人ではないのかもしれない。




だが、
それでもいいのだ。
コレでも結構年だし、っていっても30だけど、
後輩もいるし結構知名度もある。


だからこそ、
年寄りでもそれだけは負ける気がしないのだ。
相手になにか言われることがあって、

相手に遠慮する必要はない。
なにせそれはあっているのだから相手は言うのだ。



だからこそ相手は絶対的に調子ののってもたいしてなんとも言えない。
まさに、
完全勝利だ。
本当に強いものと戦うとき。

気づいた時には負けているなんてことがままある。
これが本当に強いものと弱いものの力の差かと思うくらい確実な差である。



相手のスピードに追いつけないのも理由ではあるが、
最も大きな原因は、
ただ単純にその人間の実力が圧倒的なのである。
限界を超えてさらにその先の限界へ。
限界を超えればその先にはまたその限界がある。



限界というのは、
超えてこそ人生だ。





限界を超えろ。
何度でも何度でも。