好み


人には好き嫌いがある。



まったく
好き嫌いがない人はいない。
必ず人は好きなものが有り、そして嫌いなものがある。





その好みで、
人は趣味や生活を選ぶのだ。
人なんてさして重要でもない。

この世界には人以外にもたくさんの生き物がいてそれらと人間は共存しているのだから特段変わったことでもない。


人というのは意外と自分勝手だから、
あまり必要のない人間関係なんて作る必要が無いのだ。
季節はよく流れるが、
その季節っていうのは、
流れているだけじゃない。




毎回訪れる季節には、必ず変化があり必ず毎回違った景色を写す。





それが、
四季のある日本という国だ。
圧倒的に強くても、
圧倒的に勝てることはない。


圧倒的というのは、それくらいに不完全なものだ。




すぐにその力には対策が打たれるし、その力を使わせない方法を仕込まれるだろう。

それくらいに、
強くなっても休まることはないものだ。
どんな困難にも立ち向かおう。



どれだけ困難であっても、
とりあえずやってみたらクリアできるかもしれないし、もしくはクリアできるどころか失敗しても、
成果は少しはあるはずだ。
どんなことがっても、

勝負を仕掛けてきたほうが負けやすい。
これは相手が先手を打つのだから、攻め続けなければ当然手が一歩先で相手よりも先に動かなければいけない差なのだ。


相手から攻めてきた場合、
守りからいけるから相手の攻撃が一回失敗したら確実にこっちの番だ。


戦いとは、手を出したほうが一番不利なのだ。
守っているものといえば、
影のようなものに思える。



常に一緒にいて、
常に動いているときも友にいる。






そんな影のような存在がいたら、どれだけ心強いだろうか?
事実、
人っていうのは案外めんどくさがりなのだ。



人には必ず一定の性分的なものがあって、
その性分があっと的普遍性を生んで集団を形成しているのだ。





その中で目立つものがいるとしたら、
その普遍性から突拍子もない変わり方をした、人間たちなのだろう。
ケンカは止める必要がない。

仲裁すればいいのだ。
悪いことに対して何を言うのかは自由だし、ダメなことをダメで終わらせるよりも、
相手とぶつかって解決してみたらいいのだ。




その中で、
何かが生まれればそれでいいじゃないか。
己の力だけで、
他人に頼らずそれで食っていける技術を持つものを、
プロという。




人とはなにかしら真似出来てそれをすれば強くなれると思うのだけど、
それは大きな間違いなのだ。
人にはやって、

「いいこと」

「悪いこと」

がある。
それがわからないとやってはいけないことが理解できずに暗闇に足を突っ込んで落とし穴にハマることがある。
悪いことは最初から極力減らして動かないといけないのだ。
どんな物語にも完結はあるものだ。



だからこそ、
人間の人生にも完結がある。




永遠につづく人生はないのだから、その完結するストーリーを、人は盛り上げなければいけないのだ。
人生に勝つことは必須だ。



どんなに負け犬人生でも、何かしらに勝っていなければ絶対に大人になっていないはずだ。



この世界は、
勝たなければ前へ進めないのだ。