最大


最大パワーで仕事をする。


いいじゃない。
その力強さでどんな困難も越えていくさまは、カッコいいじゃない。




最大パワーっていくらくらい人は出るのかな?
できれば、
誰よりも力強いエネルギッシュな人間になりたいものだ。
料理は調和だ。

その料理にあった器、その料理にあった音楽がないと料理は完成しない。
人に対しても調和が大事である。
相手に合わせる重要性もそうだが、時には引っ張っていける強さも必要である。



それこそが、調和である。
生きることに誠実であれば、
必ず未来はある。



卑怯なことに未来はない。
だが、
それだからこそ世界は安定しているのだ。
どんな力も、
最大パワーを出すと異常な領域の力になる。




例え一瞬で力尽きる力でも、
その一瞬が相手に当たればその威力は確実に相手を葬れるだろう。




一瞬の爆発力。
その甚大な威力だけは、絶対に避けなければならない。
思いやる気持ち。

それを持っていることで相手と理解し合えるとされている。
それは本当なのだろうか?

私的には真実だと思うし、
理解できないのに会話も何もないと思う。
相手を理解することで話したら言えない内容ややってはいけない行為がわかるのだから、
逆に言えば悪影響のあることもできないことも理解できるのだ。
昨日一昨日。



そうやってそういうものが積み重なって、その人生は作られる。


人は生まれながらにして過去を持ち始める。
そして生まれるまでにさえも、
親の過去があって産まれる。




人は自由ではないにしろ、
自由になるだけの人生が積み重なって形成されているのだ。
なんであってもがむしゃらに食らいつけ。

戦っても戦っても負けても食らいつけ。
それだけハングリーならば世の中誰でも認めざるをえない。



それくらいに負けても食らいついて媚びへつらってでもしがみつけ。
動きというのは徐々に徐々に計画的にスべきだ。




どんな厳しい状況も、
素晴らしいほどの計算に寄ってさらに跳躍力を増す。




それによる、
最大以上の能力は、己の限界をさらに超える力になるだろう。
美味しいものや完成度の高い美術品と見ると、
思わず心が踊るものだ。



そういう楽しい世界が美学っていうのはスゴくいい。




美学っていうのは、
その道を突き進むものだ。
人間もそんな美学があると、もっと素晴らしくなれるかもしれない。
どんなときでもハキハキと。


声は自分の心も他人の心も揺れ動かす。
その強い気持ちが、
さらに体を動かすのだ。
「一族の誇りを持て」
とか、
「家族の代表なんだから」
とか、


正直私の場合どうでもいいことなのだ。
私は長男だが、
その一家の代表として立派に生きたいとか、
そういう情熱はまったくない。




これからの家族をどうやって養うのか、
くらいにしか考えていない。
それくらいに、私は無難なのかもしれない。
だが、
このご時世、こういう家庭もいいではないか。
頑張ることに意味はあると思うか?


たとえそれができなくても、
立ち上がる力になることくらいはあるのではないだろうか?




ピンチの時に声援や応援があれば、
少しくらいは力が湧くのではないだろうか?



本当に相手と戦うとき、
覚悟ができるのは、その人達の声があるからだ。
例えば、
超能力が使えるとして、あなたは使ってみたいだろうか?




正直言えば、
特殊な能力ならばそれだけに暴走を止める力が必要だ。

だからこそ、
力とは、制御しなければならないのだ。