強さ


力を強調する必要はない。


だが、
その力で守れるものがあるのならば、
守ったほうがいいのだろう。




そして、
その守れる力があるからこそ、
守れるものもいるのかもしれない。
戦っても戦っても特をしないのが戦いだ。

これに得を求めてはならない。
やればやるだけ無駄な犠牲は増えるのだから、戦いとは自分の誇りを誇示するための争いなのだ。
物事を一個一個の駒だと思うと物事は簡単になる。

いわゆるタスク処理と同じだが、
駒はゲームにおいて切り札にも使えるものだから大切にするべきだ。


駒というのはなるべく持っておくべきだ。
この駒がなければ、
絶対に戦えない的とも戦えるのだから便利だ。
ケンカは止める必要がない。

仲裁すればいいのだ。
悪いことに対して何を言うのかは自由だし、ダメなことをダメで終わらせるよりも、
相手とぶつかって解決してみたらいいのだ。




その中で、
何かが生まれればそれでいいじゃないか。
正義の味方なんて存在しない。




正義というのは振りかざすものではなく、行使出来るだけだ。


だからこそ、
正義は存在できる。
悪がない限りは正義はない。
だからこそ、
この世界は安定できる。
社会には、ルールというものがある。

そのルールを守れないと、
人間は生きていけない。





人間というものは共存なのだから、
そのルールは護りたいものだ。
いつまでも永遠に同じことをしていられるだろうか?



人間とは、
欲望よりも圧倒的なほどに、成長意欲というものが存在する。

いつまでも同じことをしていられず、
耐え続けることも本当に人格ができていないと石の上にも三年などいられないものだ。





頑張るということさえも、
人には無意味なのだ。
人というのは絶対に頑張っても新しい仕事のほうがやる気が出る。
新しい仕事をして新しいことをして、
それだから力が湧くのに、
成長するためには、その石の上にも三年いられるほどの同じことの繰り返しで成長するのだから、
動かさせるのと成長させるのは違うのだ。
頑張ることに意味はあると思うか?


たとえそれができなくても、
立ち上がる力になることくらいはあるのではないだろうか?




ピンチの時に声援や応援があれば、
少しくらいは力が湧くのではないだろうか?



本当に相手と戦うとき、
覚悟ができるのは、その人達の声があるからだ。
時にはぶらりと旅行する。


そんな
人生のひとときも悪くない。



人の人生とは人それぞれだ。
しかし、
人は一時でも休まずに生きることはできないのだから、
ゆっくり休息でもとるのはどうだろうか?
限界を超えてさらにその先の限界へ。
限界を超えればその先にはまたその限界がある。



限界というのは、
超えてこそ人生だ。





限界を超えろ。
何度でも何度でも。
個人的にあなたとはいっしょにいたい。


例えば結婚したい相手と結婚したいと思う理由が、自分勝手じゃないといけないのと同じように、
そうしたいと思っていなければ成功はしないはずだろう。


その人個人は成功哲学があって行動しているとしても、
その人個人はまったく気づかないで相手のやっている意味に気づかないことが多い。


それくらいに、
人なんて理解できることがないのも、人間関係の醍醐味だ。
いくらでも進むべき道。



本気で進み続け続ける。
人生は前へ進むことだ。






進まなければ幸せになれない。
それが、人が本気になる理由である。
どんな未来が来ようとも、
現在に生きている人間の殆どはまったく気にしていないだろう。

むしろ、
気にしていたら病気だって思われる。





さらに、
人生の殆どを未来につぎ込むのが人間だから、
いちいち立ち止まっていられないのもあるのだろう。
どちらにせよ、
未来はとてつもないことであっても、
現代では平和なのだ。