完結


どんな物語にも完結はあるものだ。



だからこそ、
人間の人生にも完結がある。




永遠につづく人生はないのだから、その完結するストーリーを、人は盛り上げなければいけないのだ。
パーフェクトなことなどない。



完全無欠な人間などいないのと同じで、絶対に無敵な人間はいない。


それは人だから当然だし、
生き物だからこそ当然あって当たり前の力だ。


人は不完全だから、
前を向いて歩くことが出来るのだ。
労働とは大切だ。



人間は労働できなければ生きていけないしお金をもらえない時点で生活ができない。


その労働に成果を求めることは非常に重要だ。
労働には成果が必要だ。
その日どのくらい仕事ができたのが、自分で確認しておこう。
仕事も行動も、
感覚勝負だろう。



そこにピーンって感じがすると、とてつもなく気持ちがよく行動ができるもんだ。

そして、
成功するもんだ。





人なんてもんは、
そうやって生きていってもいいではないか。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
自分に従事るものを眷属という。



その眷属とは支配ではなく、真っ当な従属関係である。


つまり、
その人間を信じて付き合うことである。





眷属というものは絶対的ではない。
だからこそ、
主従のよう主が強制的というわけではないのだ。
私が私である根源は何か。



私が私として生きているからか?
私が誰かに私として理解してもらっているからか?


いや、
違う。



私がまだ生きているからだ。
物を売って相手が買う。

このシンプルな図式を人間は商売というものとして自分の金を儲ける価値として生業としている。
これができるからこそ家族さえも支えられる。



これがないといけないのだ。
どんなに非情だろうと、
それが儲けならばとやってしまう人さえもいるのだから、
人の世とは金が主体なのだ。
例えば、
超能力が使えるとして、あなたは使ってみたいだろうか?




正直言えば、
特殊な能力ならばそれだけに暴走を止める力が必要だ。

だからこそ、
力とは、制御しなければならないのだ。
人を信じるならば。
とことんまで相手を信じ抜くべきだろう?

そのためには自分を信じてもらわなければならないし、自分を切り捨ててもいいとさえも言わなければいけないことなのかもしれない。
人は人に信じてもらおうと努力する。


それは人が自分のことを信用して欲しいのだから、永遠に変わらないことなのだろう。
人生に、
意味があることってどんなことだと思う?



就職すること?
結婚すること?
それとも
生きていることそのものだったりする?




うーん。
私的に思うけど、別に意味があるものって人それぞれ違うものなのよ。
例えば働きたくない人は働かないことはできないでしょ?
例えば、
ずーっと子供でいたいって言っても子供のままで生きられる人っていないでしょ?
こういう問題なのよ。
わがままをわがままでいていいはずもないって言われるの。
だから、
人それぞれで自分で意味を決めておかないと、
どうやっても解決しない物事って、あるような気がするの。
そもそもだ。



私が格言を書くのにはまったく理由がない。



なぜかというと、
できるからやっているのだ。
できないわけではないことをやるのが人間当然であって、
できないことをできないでいるということもまた人間らしいといえば人間らしい。



当然、
普通にできることが仕事なのだから、
仕方ないのだ。
季節はよく流れるが、
その季節っていうのは、
流れているだけじゃない。




毎回訪れる季節には、必ず変化があり必ず毎回違った景色を写す。





それが、
四季のある日本という国だ。