信じる


人を信じるならば。
とことんまで相手を信じ抜くべきだろう?

そのためには自分を信じてもらわなければならないし、自分を切り捨ててもいいとさえも言わなければいけないことなのかもしれない。
人は人に信じてもらおうと努力する。


それは人が自分のことを信用して欲しいのだから、永遠に変わらないことなのだろう。
パーフェクトなことなどない。



完全無欠な人間などいないのと同じで、絶対に無敵な人間はいない。


それは人だから当然だし、
生き物だからこそ当然あって当たり前の力だ。


人は不完全だから、
前を向いて歩くことが出来るのだ。
現代には過去がある。


過去があるからみんな生きている。


それがなければいないわけでもないだろうが、現代の社会の仕組みはその歴史のおかげて培われている。
時代とは、
人の現在の姿だ。
「幸福」とか、
「幸せになり福をもたらす」と書く。



その意味とは、
円満な家庭なのかもしれないし、
宝くじのような大きいものにあたって一躍億万長者になることなのかもしれない。



どちらにせよ。
私の幸せは、
家族とともに生きることだ。
なんであってもがむしゃらに食らいつけ。

戦っても戦っても負けても食らいつけ。
それだけハングリーならば世の中誰でも認めざるをえない。



それくらいに負けても食らいついて媚びへつらってでもしがみつけ。
なんでもかんでも簡単に決めるな。


でも、
それでいいんじゃないの?

ミュージシャンになりたいとか、そう思ってもなれないでしょ?
じゃあ、
なれる人は才能があるのよ。




なれるかなれないかなんてどうでもいいのよ。
社会に出るっていうのは、
ルールや規則を守れれば、子供でも稼いでも誰も文句を言わないのよ。
誰だって、
行動することに恐怖を感じるものだ。



だが、それでも咲きへ進みたいからと、進むものが強くなる。






逃げていては何も解決しない。
逃げるということは、
未来をつくることを拒絶しているということだ。
勝てないのなら逃げてもいいんだ。




絶対に勝てない相手にまで、勝負を挑む必要などない。

逃げるが勝ち。
そういう人生もあっていいじゃないか。
なんでもできるならば魔法でもあったら便利だと思わないか?

だが、
魔法なんてものは世の中を便利にするだけで、
たいしてこの現代で使えてもさして意味が無いように思えないか?


空を飛べたとして、
ジェット機に巻き込まれるような気がする。



それくらいに、
この現世は完璧なのだ。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。